私はこの事故以来、起こったことはすべて感謝すると決めています(^◇^)

August 5, 2016

仙台も暑くなりました。

34度になりました。

百恋を届けながら施術をして差し上げてきました。
5人中2人の人が交通事故を経験した人でした。
そこで、私も交通事故のことを話しました。
今から40年前、交通事故で3メートル20センチ跳ね飛ばされました。
跳ね飛ばされた瞬間は「どうして?こんなことが」と思いましたが
すぐに「これで母が来る、感謝」と思って跳ね飛ばされる間感謝しました。
教会で新しい人を対象とした伝道集会というのが3日間あって、日本で1番と言われる羽鳥明牧師が来てメッセージしてくださることになっていたのです。
東京に岩手の母がそのために来ることは考えられないことでしたが、私は信じて祈り続けていたのです。
・・
跳ね飛ばされた瞬間
これで母は私のもとに来て集会にも参加できると考え感謝したのです。祈りは聞かれた。
・・
私が倒れると
「起こすな!」
と通行人が叫びましたが
雨が降っている時で体が濡れるので
私は立ち上がりました。
側頭部に手をやると頭が三角のおにぎりのように
こぶができていました。
・・
私は嬉しくてニコニコしたかったのですが
このような時ニコニコしていたら
事故のせいでオカシクなったと思われるのではないかと
私をはねた車の運転席に座って救急車を待っていました。
・・
警察官が来て
「あなたが加害者ですか?」と聞きました。
私は
「違います」と言いました。
警官は
「被害者はどこですか?!!」と大きい声で探すようにいいました。
「私ですけれど」と言いました。
警官は
「は~~!救急車まで歩けますか?」と聞きました。
・・
救急車に乗るや否や
加害者の男性に教会の案内を渡して
「今度、私たちの教会で集まりがあります。素晴らしい先生がお話ししてくださいます。いらっしゃいませんか?」
と誘いました。
男性は「今はその様な気持ちになれません」と丁寧に断ってきました。
次々と救急車の隊員にも案内を渡して誘いました。
病院に行ったら医者にも話して誘うつもりでしたが、顔が恐ろしく忙しそうだったので、渡せませんでした。
・・
病室に通されると、付き添いのおばさんたちが
「この人は交通事故だから今晩うなるよ」と言っていました。
その病室にはテレビがありました。
私は
テレビを見ないで聖書を読んできて(生活してきて)良かったと思いました。
・・
一度も痛く感じませんでした。私はエアーメール用の便せん7枚に感謝だった事故のことをビッシリ書いて
韓国ソウル厚岩清潔教会(フアンソンゴルキョウヘイ)超仁正長老(チョウインチョウチャンロウニム)差出ました。
・・
10日もしないうちに手紙の返事が届きました。
封を開いたまさにその時に、私の足の親指に感覚が戻りました。
そこは、おにぎりのように突き出た側頭部の反射区でした。
30年後リフレクソロジーを習って合点しました。
・・
なぜかそのとき国鉄も航空会社もバス会社もゼネストで母は私の見舞いに来ることが出来ませんでした。
ゼネストが終わって駆け付けた時には教会の伝道集会は終わっていました。
・・
母は私が東京で寂しく暮らしていると思っていたのが、子供(教会学校の子供たち)からおばあさんたちに至るまで皆に愛されて暮らしている姿をみて「あんたはいいねぇ」と安心してくれました。
・・
母はもう一人の日本一の大衆伝道家・本田弘慈牧師が地元の教会で3日間お話ししてくださり、父と親戚のおばさんを誘って3日間参加することが出来たのです。
本田先生は、イスラエル旅行3週間ご一緒させていただいた大好きで尊敬する牧師でした。
母は「誰がなんと言おうと私の信仰は本物だ」と言い亡くなる直前でしたが、牧師に滴礼を嬉しそうに微笑みながら授けてもらいました。
・・
今私が施術をすることが出来るのは、後遺症が出ないように6か月間毎日教会員のおばあさんが私に施術をして下さり、私にも教えて下さったからです。
私はこの事故以来、起こったことはすべて感謝する
と決めています(^◇^)
聖書 第一テサロニケ人への手紙 5章16~18節
いつも喜び 絶えず祈り すべてのことに感謝しなさい。


http://plaza.rakuten.co.jp/nijimigoto/diary/20090223/

Please reload

特集記事

I'm busy working on my blog posts. Watch this space!

Please reload

最新記事
Please reload

アーカイブ